<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 賀雨>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 漢詩大系  白樂天>
<Translator: 田中克己>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 雨を賀するの詩>
<BookPage: 63-69>
<UsedPage: 7>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
皇帝嗣寶曆，
元和三年冬。
自冬及春暮，
不雨旱爞爞。
上心念下民，
懼歲成災凶。
遂下罪己詔，
殷勤告萬邦。
帝曰予一人，
繼天承祖宗。
憂勤不遑寧，
夙夜心忡忡。
元年誅劉闢，
一舉靖巴邛。
二年戮李錡，
不戰安江東。
顧惟眇眇德，
遽有巍巍功。
或者天降沴，
無乃儆予躬。
上思天戒，
下思致時邕。
莫如率其身，
慈和與儉恭。
乃命罷進獻，
乃命賑饑窮。
宥死降五刑，
責己寬三農。
宮女出宣徽，
廐馬減飛龍。
庶政靡不舉，
皆出自宸衷。
奔騰道路人，
傴僂田野翁。
歡呼相告報，
感泣涕霑胸。
順人人心悅，
先天天意從。
詔下纔七日，
和氣生沖融。
凝爲油油雲，
散作習習風。
晝夜三日雨，
淒淒復濛濛。
萬心春熙熙，
百穀青芃芃。
人變愁爲喜，
歲易儉爲豐。
乃知王者心，
憂樂與衆同。
皇天與后土，
所感無不通。
冠珮何鏘鏘，
將相及王公。
蹈舞呼萬歲，
列賀明庭中。
小臣誠愚陋，
職忝金鑾宮。
稽首再三拜，
一言獻天聰。
君以明爲聖，
臣以直爲忠。
敢賀有其始，
亦願有其終。
<End Poem>
<Translation>
皇帝が皇位をつがれて、元和三年の冬となった。この冬から翌年の春の末三月まで、雨が降らないでひでりがつづいた。皇帝はみ心に下の人民のことを考え、穀物の凶作を心配され、ついに自己を罪するとの詔を下し、ねんころに天下につげられた。詔に曰く「天子われは、皇祖皇宗のあとをつぎ、うれえつとめて安逸にならず、夜も昼も心はいつもつつしんでいた。 元年には劉闢を誅して、一挙に巴邛の地を安らかにし 二年には李錡を殺して、戦わずに江東を安らかにした。そこでふりかえって思うと徳がうすいのに、急に高い功を立てたことになる。 ひょっとすると天は禍を降して、われを戒めなさるのではなかろうか。 上は天の戒めに答え、下は人民に平和をこさせようと思う。それには自分の身の行ないを、慈悲と温和と節俊と恭順とにするのが最上だ」と。 皇帝はそこで命じて地方の献上をやめ、また飢えたものや困窮者をたすけ 死刑をやめその他の刑罰も軽くし、自己の罪だと農民の税を軽減された。 宣徽院にいる宮女たちを実家にかえし、ご用の馬もすくなくされた。政治の成績があがったが、これがすべて皇帝のみ心から出たのだ。市中をかけまわる人民も、腰のまがったいなかの老人も みな大喜びし大声でつげあって、はては喜び泣いて涙が胸をうるおした。人民の気持ちにそったので人民が喜び、天の心に先んじたので天の心も従った。詔が出て七日しかならないのに、のどかな空気がみちあふれ、これがかたまって一面の雲となり、これが散っておだやかな風となった。昼夜三日間の雨となり、すずしくうすぐらく、そのあとみなの心は春のようになごやかになり、穀草はみな青々としげった。人民の心配は喜びとかわり、凶作の年が豊年になった。そこでわかったことは帝王の心は、うれいも楽しみも人民といっしょだということだ。天の神へも地の神へも、心に感じたことはみな通ずるのだということだ。 冠や佩玉の音たててあるく、将軍、大臣、王、公爵が 舞踏し万歳を叫び、宮廷にならんで祝辞をもうしあげた。わたくしはまことにおろかな者ながら、翰林院の学士に任じられております。そこで頓首三拝して、天子さまに一言たてまつります。「君主は聡明なので聖人といわれ、臣下は正直なのが忠臣といわれます。 善政の始めをお祝いいたすとともに、有終の美のあらんことを願いたてまつる」と。
<End Translation>
<Formatted Translation>
皇帝が皇位をつがれて、元和三年の冬となった。
この冬から翌年の春の末三月まで、雨が降らないでひでりがつづいた。
皇帝はみ心に下の人民のことを考え、穀物の凶作を心配され、ついに自己を罪するとの詔を下し、ねんころに天下につげられた。
詔に曰く「天子われは、皇祖皇宗のあとをつぎ、うれえつとめて安逸にならず、夜も昼も心はいつもつつしんでいた。
元年には劉闢を誅して、一挙に巴邛の地を安らかにし 
二年には李錡を殺して、戦わずに江東を安らかにした。
そこでふりかえって思うと徳がうすいのに、急に高い功を立てたことになる。
ひょっとすると天は禍を降して、われを戒めなさるのではなかろうか。
上は天の戒めに答え、下は人民に平和をこさせようと思う。
それには自分の身の行ないを、慈悲と温和と節俊と恭順とにするのが最上だ」と。
皇帝はそこで命じて地方の献上をやめ、また飢えたものや困窮者をたすけ 死刑をやめその他の刑罰も軽くし、自己の罪だと農民の税を軽減された。
宣徽院にいる宮女たちを実家にかえし、ご用の馬もすくなくされた。
政治の成績があがったが、これがすべて皇帝のみ心から出たのだ。
市中をかけまわる人民も、腰のまがったいなかの老人も みな大喜びし大声でつげあって、はては喜び泣いて涙が胸をうるおした。
人民の気持ちにそったので人民が喜び、天の心に先んじたので天の心も従った。
詔が出て七日しかならないのに、のどかな空気がみちあふれ、これがかたまって一面の雲となり、これが散っておだやかな風となった。
昼夜三日間の雨となり、すずしくうすぐらく、そのあとみなの心は春のようになごやかになり、穀草はみな青々としげった。
人民の心配は喜びとかわり、凶作の年が豊年になった。
そこでわかったことは帝王の心は、うれいも楽しみも人民といっしょだということだ。
天の神へも地の神へも、心に感じたことはみな通ずるのだということだ。
冠や佩玉の音たててあるく、将軍、大臣、王、公爵が 舞踏し万歳を叫び、宮廷にならんで祝辞をもうしあげた。
わたくしはまことにおろかな者ながら、翰林院の学士に任じられております。
そこで頓首三拝して、天子さまに一言たてまつります。「君主は聡明なので聖人といわれ、臣下は正直なのが忠臣といわれます。
善政の始めをお祝いいたすとともに、有終の美のあらんことを願いたてまつる」と。
<End Formatted Translation>